野末隼の日記帳。

文を書く。って楽しい

揺れる月曜日。

8時に地震で飛び起きる。
大きな揺れだ。
震災をほとんど経験してこなかったので
とにかく焦る。布団から飛び起きたはいいが
横揺れがひどくて立てない。
やばいやばい!と言いながらものにつかまる。
幸い、6畳一間の小さな部屋なので
特に倒れるものもない。食器だけけたたましく流しに倒れた。割れなかった。
揺れがおさまるが動悸はおさまらない。
いよいよきやがった!とかなんとか言いながら
押入れから非常用のカバンを持ち込む。
浴槽に水を貯めてあったのでそれはそのままにして
水道で軽く顔を洗い、髪をながし
着替えて外へ飛び出す。
5階だ。階段で下りる。
外へ出ると、小学生がのんびりと歩いていた。
あれ?なんだこの落ち着き感は。俺だけか?
ぜーぜー言ってる自分とその町の様子のギャップがあり
なんだかおかしい。ご近所のお米やさんの老夫婦がいたので
話しかける。大丈夫でした?結構揺れましたね。そうだなー何階だや?
おーそりゃえらい揺れたわな。....まー気をつけて。
こうしたちょっとしたことを近所の人と話すだけで
いくぶんか安心した。ご近所づきあいは大事だ。


とりあえず諸々保険屋さんとイベント屋さんから
心配ラインがきていた。どちらも仕事先からとは。
あーこういうとき彼女とかいたら。
なんて考えながら安否確認をこちらとしても心配な人へと送る。
みんな大丈夫な様子。でも安心できない。
ここから2日間が心配である。気をつけよう。


家にいても落ち着かないが
交通機関は麻痺している。
電車はほぼ休止。車はだせるが
渋滞だ。こりゃ落ちついていよう。


家の近所のカフェにて事務作業。
というより読書。あと落語を聴く。
こういうとき落語はいい。最高に笑える。


ウッドデッキへ向かう。
水かさが多くなっている。
風が強い。青空がきれい。
いやに静かで不気味だ。


でも生活は続くのだ。
日本社会はやはりサラリーマンが中心なのだと
こういうときにわかる。
ああ、自営業でよかった。


日本人は真面目だ。
こんなときでも仕事へ向かっている。
1日過ぎた今日は、まるで昨日のことなど
なかったかのようだ。
だが、気持ちはなんかわかる。仕事をするしかないのだ。
6年前自分もそうだった。東北の震災のときも
ラーメン屋の新店舗オープンのヘルプをしていたのだが
忙しすぎてそれどころではなかった。
深夜に原付で帰り道、閉まったガソリンスタンドの中のテレビだけがついていて
燃え盛る町が見え、こりゃ大変だということを覚えている。
コンビニの募金箱に5000円札をいれるくらいしかできなかった。
人は無力である。


仲間のパフォーマーがちょうど体調を崩していたらしく
普段元気なのにあまりに元気ないから
心配になってお見舞いにいく。このダブルパンチはきついだろう。
早く治ってくれることを願う。
ご近所の先輩ご家族にも会いにいく。
夕食をごちそうになる。小さなお子さんのいるご家族なので
ファミリーを感じると優しい気持ちになる。
自分には別に守るものもしがらみもない。
ぽつんといらないプライドと自我があるだけだ。
だがまだ死にたくはない。
まだ色々やり残したことばかりである。


ひたすら仕事に打ち込むのも
人に会うのも
どうやらこのどうしようもない不安感を
なんとかやわらげるためなのかもしれない。


そう思うと
不安感は
行動を突き動かす
原動力になるのかも。


あ、ワールドカップ日本が初戦に勝ったそうだ。
こうしたタイミングの朗報は最高だ。


明るくいこう。
どうあっても明日はやってくるのだから。

ゆっくり日曜日。

6時過ぎくらいに大阪に到着。
朝日が綺麗だった。
事務所へ寄って、日記を書く。8時に用を済ませる。


9時ごろ、家に着く。
あまりにもいい天気。眠気がくる。眠る。
12時過ぎ。目が覚める。


気分がいい。自然に触れたからか。
ウッドデッキへ行く。ストレッチをして気分が和らぐ。
気持ちがいい。あまり覚えてない。
家に帰り読書。楽しい。贅沢な時間だ。


街へ向かう。久しぶりに電車で。
とりあえず天満橋へ。今日から個展を開催している
いつもお世話になってるデザイン事務所へ。
石の個展。エキセントリックだった。
好きを追求するとアートになるんだなぁ。
変態性が素敵。


17時くらい。なんばへ向かう。
街を予定なく歩く。
NGKの受付で寄席の情報を聞く。空いてたのでちょい悩む。
夜の予定を入れる。ダイソーで手品道具を気になって買う。


合間に事務所へ行く。
ダイソー手品道具を開ける。面白い。
鶴橋へ向かう。


パフォーマーの先輩方と仲間さんと
焼肉。美味しい。うーむ。自分の女々しさがひどい。
ありがとうございます。
ごはん食べ過ぎた。


怪我をしてから飲んでなかったので
久しぶりにお酒を飲んだ。
近所のBARへ。明後日にあるライブの打ち合わせ。
ワールドカップを見る。面白い。


色々と自分を見つめ直す。
体がだるい。眠る。


翌朝。飛び起きることになる。
そんなことはこの時は知りもしない。
当たり前にこうした日が来るとは決まっていないのだ。
何気ない日が幸せである。
日常を大切に。

めでたい土曜日。

金曜日の日をまたいだくらいに実家に到着。
翌朝8時ごろに起きる。
実家は自然豊かだ。田舎の暮らしはつくづく身体に良いだろうなぁと感じる。刺激は少ないけれど。今の所、街の暮らしが性に合う。刺激や変化がなければ。
この日はご近所の先輩の披露宴。小学校からの先輩だけれど、全校生徒合わせて100人もいない学校だったので、一つ上の世代も多少覚えている。僕らは1学年で14人だったけれど一つ上は9人だった。クラスはないから1学年が6年間続くのだ。そりゃ濃いつながり。村でよかった。
そんな近所の先輩は、家が駄菓子屋で、小さい頃からよく行っていた。というよりそこしか行くお店のようなものがなかった。自分にとっては買い物ができる徒歩圏内の唯一の世界。ワールドである。そこにおみくじガムという、当たり付きの一回10円のガムがあった。それが好きでよく買った。ある日、3人男兄弟の末っ子である自分は、お小遣いを100円ずつもらい、3人でその駄菓子屋、山田屋へと向かった。もちろんおみくじガムを買う。アニキがそれぞれ当たりを当て、大きなお菓子をもらう。なにくそ、自分がガムを引く。押しボタンがありそれを押すと丸いガムがコロンと出てくる。その色によって、箱の上にあるおみくじを弾けるのだ。そこに30円とか50円とか当たりの分のお菓子が当たるそんな仕組み。10回やって見事全部はずれを引いた。子供ながらに悔しくて泣いたのを覚えている。ああ、この頃からこういうキャラは確立していたのだ。兄がそのときばかりは同情したのか、不憫な顔で、お菓子を分けてくれた。ただただ虚しかったが、良き思い出でである。
前振りが長くなった。
そんな思い出深き駄菓子屋のお姉さん(お店ではほぼあったことはないが)の披露宴にて
余興ショーだった。温かい式だった。近所の顔を知ってる方も多数おられ、気恥ずかしさもありながら、優しい気持ちで落ち着いて楽しくショーができた。うん、少しは小学生以来の成長した姿を見せられたのだろうか。
一人の見てくれていた先輩からこう言われた。「落ち着きがなくなったね。」と。
どうやら小学生の頃は落ち着いていたそうである。ハッとなった。そうだ、小学生の頃は落ち着いていたんだ、自分。高校の頃くらいにハジけてしまい、常にあせりながら話しまくる陽気な人間になった。でもどちらも自分だ。普通逆だろうと感じるが、小さい頃の落ち着きまくっていた反動での今だろう。昔の自分バンザイ。そして先輩、ありがとう。
まるで同窓会のような披露宴。灌漑深い。気持ちが和らぐ時間だった。
いつも親切で優しく、思いやりのある新婦さん。終わり際まで生活を気にしてくれた。
焦らず過ごします。きえさん、ありがとう。
浜松の呉竹荘のみなさんも、色々と丁寧で迅速なご対応ありがとうございました。
またなにかとよろしくお願いします。
良い疲れとともに実家に戻り、気づけばソファで眠っていた。
日をまたぐくらいにのそりと起き、親と少し話し、深夜高速で大阪へ帰る。
ゆっくりと明るくなる滋賀の山並みが綺麗だった。帰りはあまり眠気にやられることなくすぎた。ああ、朝だ。今日もいい日にしよう。全部、自分次第。