野末隼の日記帳。

文を書く。って楽しい

めでたい土曜日。

金曜日の日をまたいだくらいに実家に到着。
翌朝8時ごろに起きる。
実家は自然豊かだ。田舎の暮らしはつくづく身体に良いだろうなぁと感じる。刺激は少ないけれど。今の所、街の暮らしが性に合う。刺激や変化がなければ。
この日はご近所の先輩の披露宴。小学校からの先輩だけれど、全校生徒合わせて100人もいない学校だったので、一つ上の世代も多少覚えている。僕らは1学年で14人だったけれど一つ上は9人だった。クラスはないから1学年が6年間続くのだ。そりゃ濃いつながり。村でよかった。
そんな近所の先輩は、家が駄菓子屋で、小さい頃からよく行っていた。というよりそこしか行くお店のようなものがなかった。自分にとっては買い物ができる徒歩圏内の唯一の世界。ワールドである。そこにおみくじガムという、当たり付きの一回10円のガムがあった。それが好きでよく買った。ある日、3人男兄弟の末っ子である自分は、お小遣いを100円ずつもらい、3人でその駄菓子屋、山田屋へと向かった。もちろんおみくじガムを買う。アニキがそれぞれ当たりを当て、大きなお菓子をもらう。なにくそ、自分がガムを引く。押しボタンがありそれを押すと丸いガムがコロンと出てくる。その色によって、箱の上にあるおみくじを弾けるのだ。そこに30円とか50円とか当たりの分のお菓子が当たるそんな仕組み。10回やって見事全部はずれを引いた。子供ながらに悔しくて泣いたのを覚えている。ああ、この頃からこういうキャラは確立していたのだ。兄がそのときばかりは同情したのか、不憫な顔で、お菓子を分けてくれた。ただただ虚しかったが、良き思い出でである。
前振りが長くなった。
そんな思い出深き駄菓子屋のお姉さん(お店ではほぼあったことはないが)の披露宴にて
余興ショーだった。温かい式だった。近所の顔を知ってる方も多数おられ、気恥ずかしさもありながら、優しい気持ちで落ち着いて楽しくショーができた。うん、少しは小学生以来の成長した姿を見せられたのだろうか。
一人の見てくれていた先輩からこう言われた。「落ち着きがなくなったね。」と。
どうやら小学生の頃は落ち着いていたそうである。ハッとなった。そうだ、小学生の頃は落ち着いていたんだ、自分。高校の頃くらいにハジけてしまい、常にあせりながら話しまくる陽気な人間になった。でもどちらも自分だ。普通逆だろうと感じるが、小さい頃の落ち着きまくっていた反動での今だろう。昔の自分バンザイ。そして先輩、ありがとう。
まるで同窓会のような披露宴。灌漑深い。気持ちが和らぐ時間だった。
いつも親切で優しく、思いやりのある新婦さん。終わり際まで生活を気にしてくれた。
焦らず過ごします。きえさん、ありがとう。
浜松の呉竹荘のみなさんも、色々と丁寧で迅速なご対応ありがとうございました。
またなにかとよろしくお願いします。
良い疲れとともに実家に戻り、気づけばソファで眠っていた。
日をまたぐくらいにのそりと起き、親と少し話し、深夜高速で大阪へ帰る。
ゆっくりと明るくなる滋賀の山並みが綺麗だった。帰りはあまり眠気にやられることなくすぎた。ああ、朝だ。今日もいい日にしよう。全部、自分次第。